洋の東西を問わず、人々の注目を集める事件が起きると、大体それに対する陰謀説というのが浮上する。
例えば、神戸の連続児童殺傷事件では、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは冤罪だという説が山のようにある。その説によると、「犯行声明文は少年Aによって間違いなく書かれたと断定されていない」、「違法な取り調べによる自白だ」というもっともらしいものが挙げられている。
だが、少年Aは冤罪だと主張したことはなく、どちらが不自然かというと冤罪説の方が不自然だと誰もが思うだろう。だが、冤罪派は、「本人が冤罪を主張しなくても、冤罪ではないという根拠にはなり得ない」だとか、「少年は警察での取り調べや少年院での矯正教育によって自分を犯人だと思い込むようになった」と主張している。そんなこと言い始めると、どんな事件にも当てはまりそうなもんだが、そんなことは知ったこっちゃないらしい。他は他、これはこれ。
容疑者の冤罪を主張する支援者たちの主張は概ねどれも似たようなもんである。彼らが言うことは、「警察によるでっち上げ」だとか「違法な取り調べによるもの」といつも型どおりで決まり切っている。彼らの多くは警察権力に対し、ある種のバイアスがかかった状態でしか見られないようだ。
先に結論ありきで冤罪という陰謀論を振りかざしているようにしか見えないのは私だけであろうか。容疑者の支援者たちは、警察が嫌いで、警察のやることを責めたい。だから、冤罪に導くために結論を先に決め、それに辿り着くように道筋を付ける。
光市の母子殺害事件で、人権派の弁護士たちが被告の裁判を利用して死刑反対を訴えているのと同じ構図だ。
冤罪が大好きな陰謀説支持者は、過去に2回痴漢で逮捕され、有名になってからも女性のスカートを手鏡で覗いて有罪になり、その後女子高生に痴漢までした植草一秀を支援する人もいる。
正直、驚くほかないが、それらの人たちがやっているブログやホームページを見ると、どうやら本気らしい。
植草一秀氏を応援するブログ
彼らは植草が言うとおりに陰謀だと主張する。ちんけなエコノミストを嵌める陰謀とはどのようなものであろう。
また、例によって警察を責めまくる。
例えば、下のページを書いたヤツ。
植草一秀氏の不当逮捕はいかにして起こったか
手鏡を使った痴漢行為をどういう理由でか冤罪だと決めつけ、植草を逮捕した警察官の心情を次のように一方的に想像してみせた。
この警察官が、自らの誤りだったことを認めて謝罪し、楽になりたい気持でいることは想像に難くない。あるいは自殺したいぐらいに苦しんでいる可能性もあるだろう。
全て推論に基づく勝手な妄想だが、ここまで来ると哀れみを通り越して愉快に思えてくる。
「想像に難くない」とは、てめえの思考回路での想像だろうが。自信を持って逮捕したと何故考えられないのであろう。だとしたら、自殺したいなんて思うわけがないのだが。
そして、書き手は警察の体制について次のように結論付けた。
いかに件の警察官が「私は真実を言いたい」と思っても、組織がそれを許さないのである。上官にも「もうこの問題は、おまえ一人の問題ではない。余計なことを言ってはいかん。大変なことになるからな」と言われているのではないか。検察もまたそうである。もし無罪と言うことになるなら、検察は無罪の被疑者をあの手この手で有罪に持ち込むために、個人の性癖や前科まで暴露してきたことになる。だから、この段階に及んでは、もはや真実などどうでも良い。「有罪」を「勝ち取る」まで、警察も検察もただただ組織の論理で突き動かされるのである。
こいつが言いたいのは、警察が誤認逮捕し、検察が起訴してしまったため、間違いだと気が付いても後に引けないのだという。こいつの脳内にある日本の司法っては、どうやらよほど単純なものらしい。裁判所は学級会ではないし、警察や検察は子供ではない。
恐らくこの手の人間は、司法が植草に有罪の判決を下しても納得しないのだろう。陰謀論者特有の思考だ。世の中の法律や常識に囚われないのが陰謀論者なのである。
かくして、陰謀論というのは絶対になくならない。陰謀論者の意見に反する結論が出たとしても、陰謀論者は絶対に認めないからだ。
アポロ11号は月に行っていない。植草は痴漢をしていない。スケールの大きな出来事から、矮小な痴漢事件まで、陰謀論者は世界中のあらゆる場所で活躍している。


by 先っちょマン
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