今日の朝日新聞朝刊の社説は、久々に笑えた。朝青龍問題を書いていたのだが、内容がアホすぎる上、露骨に他の目的を持って書かれていたからだ。
【朝日新聞】 朝青龍騒動―ここから何を学ぼうか (2/9)
朝青龍は自業自得、身から出た錆で横綱を辞めることになったのだが、その朝青龍に一応の文句を付けて見せたが、やり玉に挙げたのはやはり日本人。相撲がなんたるかをちゃんと理解して貰わなかった日本人が悪いのだそうだ。
さらに、社説の最後の方にはこんなことが書かれてある。
外国人を受け入れていくうえで、検討すべきことは他にもたくさんある。たとえば、どんな立派な実績を残しても、引退後は日本国籍に変えなければ、親方として指導や協会運営に加われない仕組みはこのままでいいか。
頭にまげを乗せている純日本的な集団が、優秀な外国人に支えられている。そこに私たちがいま、あるいは将来、直面する問題が突出して表れていると見ることもできる。
日本に暮らす外国人は増え続けている。こちらの考え方に合わせてくれる人は歓迎し、そうでない人は排除するというのは、もはや通用しない。
同じ社会を構成する仲間として、相手にわかりにくい固有の習慣や伝統があれば、丁寧に説明し、理解を求める。あるいはこちらが変えるべきところは、変えていく。その積み重ねが、お互いの信頼を築いてゆくはずだ。
多様な文化が共生する社会をつくるために「朝青龍騒動」から酌むべきことは、実は少なくないのである。
朝青龍はすごく強かったのに、日本の永住権は取得しているものの、外国籍であるから親方にもなれないし、相撲協会にも入れないのはオカシイんだそうな。朝日新聞曰く、こちらの考えに合わない、或いは合わそうとしない外国人に対して、日本人は排除しようとせず、譲歩して、理解して貰う必要があるらしい。
んなことあるかい。
合わせるのは向こうの方である。お願いして来て貰ってるわけでもなく、"強制連行"してきているわけでもない。「郷に入れば郷に従え」という言葉があるように、来る方が元々あったルールに合わせればいいだけの話だ。
「理解して貰う」、「変えるべきところは変える」なんて、ただ単に外国人に対して譲歩しているだけじゃないか。なんでこちらが努力したり、譲歩したりせねばならないのか。そんな国、この地球上のどこにある。
朝日新聞が今さら朝青龍問題を社説に書いてきたのは、やはり根底に外国人の参政権問題があるからだろう。社説を読み替えるとよく分かる。これは深読みでも下衆の勘繰りでも何でもない。
外国人を受け入れていくうえで、検討すべきことは他にもたくさんある。たとえば、どんな立派な実績を残しても、引退後は日本国籍に変えなければ、親方として指導や協会運営に加われない仕組みはこのままでいいか。
これは次のようになる。
外国人を受け入れていくうえで、検討すべきことは他にもたくさんある。たとえば、国や地方にどれだけ税金を納めたとしても、外国籍という理由だけで、選挙権が与えられず、行政に参加できない仕組みはこのままでいいか。
横綱が日本国籍を取得すれば親方にでも何でもなれるのに、それでは朝日新聞は不満らしい。外国出身でも、日本国籍の取得でどうとでもなれるのである。これは外国人差別でも何でもない。むしろ、外国出身でも国籍さえ取れば何でもできるのだから、逆である。
この不満はつまり、税金を納めているのに選挙権がないというアホな理論に通じるものがある。
それだけでは収まらず、朝日新聞は、日本のことが理解できない外国人を受け入れないのではなく、こちらが努力して受け入れるようにしろと国民に説教を垂れる。話し合えば理解できるという、いつもの友愛に満ちあふれたクソみたいな理想論だ。
話せば分かるなんてことは絶対にない。理想と現実亜は違うのである。
違う国、違う民族、違う宗教で価値観の共有はもちろんのこと、まともな話し合いすらできたためしがない。過去幾度となく繰り返されてきた歴史を見ても、まだそんな浮ついたことを言うアホがいるのである。
日本にいる外国人の全てが日本が好きというわけではないし、死んでも日本人の考えなんか受け入れない、理解しようともしないというヤツはゴマンといる。
日本人だって、中国人の考え方なんか絶対に理解できない。できるわけがない。
外国人のためを装い、日本人に対して説教垂れるのは結構だが、結局は朝日新聞がやろうとしていることは、外国人参政権を与えるなりなんなりにして、日本をむちゃくちゃにすることだろう。だったら、素直に最初からそう書けばいい。
「外国人の言いなりになれ」、「外国人に参政権を与えよ」、「日本を破滅させろ」。
まだそっちの方が、清々しいというものだ。





by 先っちょマン
日本国民のオツムは大丈夫か