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悪意あるテレビ番組 ニュース記事に関連したブログ

2012/01/29 22:45

 

フジテレビ系の「ザ・ベストハウス123」という番組は、始まった当初はなかなか興味深いもののベスト3を挙げる番組だった。「日本が誇るすごいネジ」ベスト3とかをやっていて、知的好奇心をくすぐられる内容だった。

ところが、現在のバラエティ番組に倣って、すぐに劣化した。どうでいいベスト3かベスト3ですらないものばかりが挙げられるようになった。外国の番組で放送していたすごいカップルの喧嘩だとか、マヌケな強盗ベスト3だとか、知的好奇心を1ミリもくすぐられない。
番組の内容が、その直前に日本テレビ系列でやっている「ザ!世界仰天ニュース」とほぼ同じなのだ。

同じ水曜日に放送している「ザ!世界仰天ニュース」と今の「ザ・ベストハウス123」は、もはや全く同じ内容だと言って過言ではないが、どちらも実にくだらない内容で、見るに値しない。チャンネルをザッピングしているときに、チラリと見てしまう程度だ。

どちらの番組でもよくやっているのが、珍しい病気や先天的な障碍、或いは悲劇的な事故でとんでもない容姿になってしまった人間の特集である。
それに加えて、昨日フジテレビ系で放送されていた「サイエンスミステリー」などの特番でもよく取り上げられる。

違法な美容整形や自分で勝手に薬物を注射して、顔面がただれたりふくらんだりした韓国の扇風機おばさんを始め、足だけが異常にでかくなるオバハンとか、頭がくっついた畸形の子供とか、若いのにババアみたいな見てくれになった女などである。

私は常々、この手の番組は何のために放送されているのか疑問だった。どう考えても、見せ物小屋的な発送で、そのような人たちを視聴者の好奇の目に晒しているだけにしか見えないのだ。

番組の作り手としては、それを察知されないように、そんな人たちが頑張って闘病していると訴え、あくまでも人々に感動を与えるVTRにしようとしているのだろうが、見ている視聴者で、「あの人たちも頑張っているのだから、私も頑張ろう」などと思う人がいるのだろうか。
私だって人の子だから、「気の毒に」とは思うが、それだけである。大抵は、小学校の感想文で書いたら、教師に叱られるようなことしか思わない。扇風機おばさんを見たら「気持ちワリー」と思うし、昨日のテレビでやっていた頭がくっついた畸形の双子は、親が子供を堕ろさなかったことを自慢げに話していたことに対して、「宗教上の理由ちゃうんか」と言ったし、畸形の双子は将来どうやって生きていくつもりなのかだけが気になった。

ハッキリ言ってこういう番組は、偽善に満ちた悪意の塊でしかない。それっぽい理由を付けて感動的な話をスパイスとして味付けしただけの、見せ物だ。
あれを視聴者に見せて、テレビは何を視聴者に訴えかけているのか。私には、「ホラ、こんな気の毒な人もいるんですよ」と、テレビ局が面白がって紹介しているだけにしか見えないのだ。
これは、人間の差別意識を利用したものでしかないと思う。

社会のヒエラルキーというものを構成した人間は、必然的に自分より下のものを探そうとする。自分より下に見られる人間を探し出し、自分の地位を相対的に高めるという差別意識を持つのが人間である。
だから、「あいつには障碍があるが俺にはない」、「あいつは収入が低いが俺はそれよりはマシ」、「あいつは顔がブサイクすぎるから俺の方がマシ」などという、他人との比較を日常的に行ってしまうのだ。

それは人間の本質だから仕方がない。人間は他人と比べることによって、自分のアイデンティティを確立するのである。
それを巧みに利用したのが、「ザ!世界仰天ニュース」や「ザ・ベストハウス123」、「サイエンスミステリー」といった番組ではなかろうか。

私は、そういう人間の本質的な差別意識を多分に持つ人間だが、その手の番組は一切見たくない。自分にとって、何のプラスにもならないからだ。
こういう考え方をすることは、私が人より歪んだ考え方を持っていて、悪い方にしか捉えられないからだろうか。
少なくとも、自分ではそうではないと思う。

 

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医師の思想 ニュース記事に関連したブログ

2012/01/27 20:55

 

大津市内にある昔から馴染みの歯科医院に用事があって久しぶりに行ってみたら、入口に「こし直美」とかいうババアの看板があって、中の待合室にも「こし直美」の宣伝ビラがあった。
「誰やねん」とは思ったものの、特に気にもしていなかったのだが、しばらくして、新聞で大津市長に越直美とかいうオバハンが当選していて、そいつだということが分かった。

越直美は36歳で、史上最年少の女性市長らしいが、見た目はかなり老けている。どこぞの市議みたいに、「美人過ぎる市長」だったらよかったのだが、「史上最年少女性市長」と「知事&県庁所在地市長の女性ペア」として注目されているだけである。

津市でこれまで2期連続で市長を務めていた目片信(めかた・まこと)は、保守系市長で、知事が凍結させた大戸川ダムの建設を主張し、「つくる会」の教科書を評価していた。これに対し、滋賀県で幅を利かせる全教(全日本教職員組合)が糾弾していた。

目片前市長は、部落解放同盟からも糾弾されたことがあった。大津市職員向けに配布した手帳のカレンダーに六曜を表示したことで、部落解放同盟から「迷信である六曜を信じることは、謂われなき差別である部落差別を助長させる」などと難癖を付けられて、手帳を回収させられる憂き目にあっていた。
税金の無駄遣いでしかないのだが、市長だろうが何だろうが、部落解放同盟には逆らえないのだ。

一応保守系ということで、大津市長は目片信でいいと思っていたのだが、大津市民は年齢が目片の半分の越直美を選んでしまった。
主張を見る限り、嘉田由紀子知事と同様、サヨク全開の政治家というよりは、ただの女性政治家っぽいが、これからどうなるか分からない。

それにしても、何故こんなつまらない政治家の応援を、旧知の歯科医がしているのだろうか。
これまで、その歯科医院では、特定の政治家を応援するようなことはしていなかった。ほかの医者と同様に、朝日新聞を取っていて、待合室に置いてあったのだが、ただそれだけだった。
前の先生が半ば引退して、その子供が中心になってきたからそんなことになったのだろう。

何故かよく分からないが、医者のようなインテリは、朝日新聞や民主党社民党のような左派政党を支持したがるのだろうか。実に不思議である。
医師会は、昔までは自民党についていたのだが、それでも自民党支持の医者は少なかった。

昔まで、左派のイデオロギーを持つ人が賢い人の証のような感じだが、それが今もまだ続いているのだろうか。「オレは医者だから、朝日新聞を読む」とか「オレは医者だから、民主党を支持する」ということになってしまうのだろうか。
それでは、勉強ができても、ただのアホみたいに見えてしまうのだが、それは私が保守的思想の持ち主だからであろうか。

 

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日本はお先真っ暗 ニュース記事に関連したブログ

2012/01/26 20:55

 

野田首相が執念で消費税増税を推し進めているため、消費税が近いうちに10%になることは間違いなさそうだ。

国民も、消費税がアップするのは仕方がないとは思っており、ある程度の覚悟はしている。
ただ、このデフレ不景気の日本経済において、今すぐ消費税をアップしてしまうと、国民が財布の紐を引き締めて消費がますます落ち込み、デフレが加速する恐れがある。将来のための消費税アップで、将来を待たずして、今ボロボロになってしまう可能性もあるわけだ。

かといって、景気が回復するまで待っていたら、永遠に消費税アップなんかできないだろうから、どこかで踏ん切りを付けないといけないのだろう。

国民は消費税アップは諦め気味になりつつあるが、ここへきて民主党政権が「消費税は10%でも足りない」と言い出した。民主党が提案する年金制度の抜本改革を実施する場合、さらに7.1ポイント追加して、消費税が17.1%ないと足りないとか。

この数字がひとり歩きしたら、「10%はそれよりマシ」という空気になってしまう。恐ろしい話だ。10%にするかしないで揉めている段階で、それは当然、実は17%必要という議論がされているのである。

しかも、10%か15%か知らんが、消費税が上がったところで、将来の不安が消えるわけではない。それがもっとも怖い点だ。
この国の年金制度なんか、今になっては少しも期待できない。
中間層以下の人間は、死ぬまで働くか、さもなくば死ぬかという状況になりそうだ。

家族総出で死ぬまで働き続けるにしても、いろいろと厳しい状況になりつつある。

朝日新聞の報道によると、民主党政権は、取りやすい厚生年金から金を搾り取るため、アルバイトやパートに対する厚生年金の適用拡大案として、現行の年収130万円から80万円に引き下げようとしている。

現状では、扶養の家族は、所得税やら配偶者控除などの関係で103万円以下に抑えているパートやアルバイトがほとんどだろう。
厚生年金の適用が80万円からになったら、それらの人たちが働く時間を減らし、年収を80万円以下に抑えるに決まっている。雇い主の企業だって、厚生年金を負担するのがイヤだろうから、積極的に荷担するはずだ。

すると、思ったほど厚生年金が増えない。各家庭は収入が減るわけだから、当然支出も減る。
だから、結局は厚生年金は年収1円以上ということになるに決まっている。
国がパートをするだけの"ほぼ専業主婦"を認めず、全員からしぼれるだけしぼることになるに違いない。

近い将来、国が国民全員に「働け」とけしかけるのは間違いない。年金財源のため、そして破綻している年金制度だけでは生きていけないからだ。
その割には、日本の社会制度はまったく変わっていない。

幼い子供がいれば、普通は仕事は無理だろう。子供を預ける場所がない。
子供が小学校に入ったとしても、子供が学校に行っている間だけ働けるような、都合のいいパート先なんかそうそうない。子供が鍵っ子になるのは確実。
家計を助けるために働く場所があったとしても、皆が働くようになったら、少ないパイを取り合うことになる。働きたくても働けないことが今でもよくあるのに、将来的にもっと増えそうだ。日本企業の海外流出も加速するだろうから、余計に酷くなるはずだ。

将来のことを考える度に、「この国はもうダメだ」と思わざるを得ない。
ほかの国も似たり寄ったりなんだろうけど、少なくとも日本人として、この国の将来を見つめると、お先真っ暗である。

今の日本は、まだかろうじて「国民層中流」だろうが、30年後には「国民層下」になり、貧乏人ばかりの国になるような気がする。
飯を食うのがやっとで、何を生き甲斐にして生きていけばいいのか分からない人が爆発的に増えるのだろう。

よほど覚悟を決めて、適切に税制改革や社会制度改革を行わないと、本当にこの国は終わってしまう。
今、ほとんど終わりかけに近いことを、もっと国民自身が危機感を持つことが必要だろう。「何とかなる」と思っている人が多いのかも知れないが、このままでは多分何ともならない。
 

 

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施政方針演説の評価点 ニュース記事に関連したブログ

2012/01/25 19:50

 

昨日の野田首相の施政方針演説を受け、新聞各紙が今日の朝刊社説でそれを取り上げた。

産経新聞は、重要な政策の全体像を具体的にしていないことについて文句を付けた。当然の主張である。
国家公務員の給与の引き下げや、国会議員の歳費削減などに全く触れず、民主党お得意のバラマキ政策も継続方針なのかよく分からないまま、消費税アップなど、増税策だけは目白押し。

これまで、ウソばかりついて国民を騙してきた民主党なのだから、言うだけでは全く信用できない。政治家みたいなウソつきには、言質を取っても意味がないのだから、演説だけで手放しで褒めることなんかできない。

野田首相の演説をどこを褒めるのかと思っていたら、朝日新聞は最大限に好意的な解釈を加え、社説で評価していたので驚いた。

【朝日新聞】 施政方針演説―気合十分、説得力不足 (1/25)

「説得力に欠ける」と前置きはしているものの、その内容について、「気合いが伝わってきた」とか「めざす方向も共感できる」と持ち上げた。

朝日新聞がもっとも評価したのが、「将来への責任を強調した点」であるらしい。
「次の世代のことを考えるのが政治家」だと、めちゃくちゃぼんやりしたことを野田首相は主張し、産経新聞はそれを「具体的でない」とバッサリだったのに、朝日新聞はその気持ちを最大限に評価した。「具体案が足りない」などと書いているくせに、その心意気を褒めている。

気持ちだけなら、舌先三寸でいくらでも言えるだろう。それが民主党の政治なのに、この期に及んでも口で言うだけのことに評価をするとは、恐ろしい新聞である。

産経新聞と朝日新聞では、施政方針演説の評価内容が大きく異なるわけだが、共通している点がひとつある。
これ以上混乱を招かぬよう、自民党公明党といった野党が、与党の呼びかけに応じて話し合いの席につくべきだとする点だ。

朝日新聞に至っては、自民党政権末期のときに、民主党が与党との話し合いを全くせず、散々攻撃しまくっていたにも関わらず、社説で「解散総選挙で信を問え」などと自民党に文句を付けていたことを棚に上げ、やっぱり自民党に文句を付けるのである。
このままでは政治が停滞するのは間違いないが、民主党が譲歩すべき点はかなりあるはずである。文句を付けるのであれば、まずはデタラメな政権運営しかしていない民主党に付けるべきだろう。

どう考えても、このままでは日本はめちゃくちゃになってしまう。
電力不足などの問題もあるが、一番の問題は、無能な政党が政権を握って、右往左往しながら適当に政権運営していることだろう。

 

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死の学習

2012/01/24 21:15

 

よくテレビやら漫画やらで、鯛の活け作りが舟盛りで出されて、それを見た人が「わ~、おいしそう」という場面がある。
私に言わせれば、鯛の刺身は「おいしそう」だが、鯛の活け作りは「気持ち悪い」である。

魚を活け作りにできるとか、骨だけになった魚をいけすに戻して泳がせるとか、職人の腕の見せ所なのかも知れないが、悪趣味過ぎて気色悪い。
捌かれて、肉を切り刻まれ、クしている魚を見て、「おいしそう」と喜ぶ気持ちが理解できない。

中国人や韓国人が机以外の4本足のものを何でも食うこと、つまり犬や猫を食べることについては、食文化なのでいちいち文句を付けるつもりはないが、店先で選んだ犬や猫を捌いて貰って、その肉を店で食うというシステムは、考えただけで気持ちが悪い。
いけすに入っている魚を選んで捌いて貰うのと同じなわけだが、魚が哺乳類になっただけで、気色悪さが倍増する。
客に選ばれた犬は、肛門に金属の棒を刺されて、電気ショックでビリビリされて殺されるらしいが、想像したくない話である。

日本でも田舎の方にいけば、飼っているニワトリの首をちょん切って、羽を全部むしって、内臓を取り出し、肉をいただくということがあるらしいが、私には絶対マネできないし、見るのもイヤだ。
ナイーブで乙女な私は、嫁さんが生きたイカやエビを手に持ってふたつにもいで、ワタを取り除いているのを見るのも見たくない。
死んだ魚を3枚におろすのは、まだ何とか見られる。

肉を食べたり魚を食べたりすることは、誰かが牛や豚や魚を捌いて、キレイに解体してくれているということであり、仕事とはいえ、そういうことをやってくれる人には本当に感謝したい。
もし全部自分でやらなければならないとしたら、魚介はまだガマンしてできるようになるかも知れないが、牛や豚や鳥は一生かかっても無理だろう。

20年ほど前、大阪の小学校で、6年生がブタを飼い、卒業するにあたってそのブタを解体して、ソーセージにして食うという授業をやっている教師がいると話題になった。
学校で飼っていたペットの動物を、後輩に引き継がず、ソーセージにして食うのである。原始人みたいだ。

妻夫木聡主演で「ブタがいた教室」として映画化され、テレビで放送されたので少しだけ見たが、子供たちが豚を殺す殺さないでディベートしているさまは本当に気持ち悪かった。
私はその詳しい話を、産経新聞で連載されていた「死を考える」とかいう連載で知った。

教師は児童に死生観とか命の大切さを子供たちに考えさせたかったらしい。
12歳にもなる子供が、実際に動物を飼い、名前を付けて可愛がり、それを殺して食ってみないと、命のことついて考えられないのだろうか。本気で考えるきっかけにはなるだろうが、そこまでやる必要があったのか。

動物がどうやって殺され、どうやって食肉になるかを見たいのなら、屠 殺場へ連れて行けばいい。大阪は同和教育が盛んだし、行きすぎた同和教育として屠 殺場見学なんてもんがあったのだから、子供をそこへ連れて行くだけで済む。
屠 殺場でバッタバッタ死んでいく動物を見れば、普段はふざけた子供でも、自分が肉を食うということがどういうことか、ちょっとは真剣に考えるだろう。

人々が長生きするようになり、核家族化も進んだことで、死生観を全く持ち合わせていない子供が増えたのだから、生きるとか死ぬとかを子供に教えることは大切だろうが、やり方というものがある。
そんなことをお構いなしで動物の生き死にの判断を迫られた子供たちが可哀想だ。そうまでしないと、死について考えられず、食べ物に感謝もしないとアホ扱いされていることも可哀想だ。

 

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オヤジと禁煙 ニュース記事に関連したブログ

2012/01/23 19:40

 

北朝鮮W杯予選のサッカー観戦に行き、帰りに体調が悪くなり、ソウルでぶっ倒れた私の父親が、何とか帰国して、入院したことについては、11月にこのブログで書いたと思う。
そのあとどうなったか書いていないと思うので、他人にとってはどうでもいいことかも知れないが、一応記しておく。

まず、うちの父親は、心臓の調子が悪くなり、心拍数の低下(1分間に30回とか)や低血圧(上が90、下が40とか)で調子が悪かった。GOTとかいう肝臓の数値も正常の何千倍という値になっていた。
入院して点滴を打ったり、いろんな薬を飲むことで、2週間ほどでようやくマトモな数値に戻って退院できたのだが、飲んべえの父が退院後の夜に缶ビール4本飲んだら、また心臓の調子が悪くなって、即入院することになった。

個室に入院していたのだが、それを病院が片付ける間もなく、同じ部屋に入院だ。
バカ丸出しで、情けない話である。

うちの父はもともと心臓にサルコイドーシスという肉腫ができる珍しい病気を抱えていたりしたのだが、病院側が「今のままじゃダメ」と判断し、心臓外科手術ができる大きな病院に転院することになった。
そしてそこで、心臓のペースペーカのような機械を埋め込む手術をした。
どんなもんか詳しく聞いていないので知らないが、300万円する機械らしい。

値段を聞いて驚いたのだが、父は手術を受ける前に心臓病に関する病気で、身体障碍者1級になっていたので、何だかんだでタダで済んだらしい。
日本の社会保障制度がまだ機能していて、本当にありがたい話であった。

ペースメーカが入っている人は、身障者1級らしい。
調べてみたら、両足がない人も1級らしいが、父の心臓病が足がないのと同じ1級とは何か変な感じだ。どこから見ても、健常者にしか見えず、機械がぶっ壊れたらいつ心臓が止まるか分からないのだが、それは健常者の心臓だっていつ止まるか分からないわけで、大した違いはないように思える。

それはさておき、父は都合1か月強入院したわけだが、その間、タバコを1本も吸わなかった。
父に聞くと、これまで毎日タバコを2箱吸っていたらしい。何年か前にサルコイドーシスでカテーテルの手術をしたときに、医者から禁煙するように言われていたのだが、お構いなしに喫煙していた。
さすがに今度こそ禁煙するつもりなのか問いただしたら、「1か月吸わなかったし、タバコ代もアホくさいので、もうやめる」と、ついに禁煙宣言が出た。

強がりなんか何なのか、「健康のため」とは言わなかったが、確かに1日2箱だったら、月に2万5000円ほどの出費である。それがもったいないのは間違いない。

私も学生の頃は喫煙者だったのだが、正月に40度近い熱が数日続いたとき、タバコを全く吸えなくて、風邪が治ってから禁煙するようにした。就職活動などもあったし、ちょうどよかった。
病気をすることは、禁煙のいいきっかけになる。

厚生労働省が、国民の健康づくりやガン対策のため、喫煙者を現状から半減させ、10%台前半にする目標を立てたらしい。
今の喫煙者が、重い病気になれば、よほどでない限り禁煙するだろう。ただ、タバコに何か混ぜて病気にさせるわけにもいかないので、やめさせるには、禁煙を決意するもうひとつの理由である、経済的な理由をつつくしかない。うちの父みたいに、金がもったいないと思わせられれば、ヘビースモーカーでも禁煙できるのではないのか。

だから、タバコはさっさと1000円にすればいい。
これまでは、どうしようもないうちの父がタバコを吸っていたから、1000円にすると喫煙者が可哀想だと思っていたが、正直なところ、もう関係ないからどうでもよくなった。
タバコ1000円なら、一撃で喫煙者が半分になるに違いない。

 

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小林よしのりの正論宣言 ニュース記事に関連したブログ

2012/01/21 00:50

 

小学館の「SAPIO」誌はこれまで、原発について反対だとか賛成だとかいわず、反原発派、原発維持・推進派の意見を掲載してきた。
ところが、18日(水)発売の2/1・8号から、急に反原発路線へと急旋回したようで、「脱原発を巡る論考を続けよ」という特集を組んで、反原発文化人の記事を掲載した。
看板漫画を描いている小林よしのりが脱原発論を展開しているので、それを迎合してのことかも知れない。

その中で、私には寸詰まりのイメージしかない宮崎哲弥が、著名な文化人の左右のイデオロギーと原発に関する思想をマトリクスにしてまとめていた。
実に分かりやすい図だったので、ここで紹介したい。

 


右下に吹き出しでまとめられているのが、保守で原発推進派のメンバーである。産経新聞だとか、産経新聞社の「正論」でよく見るようなメンツであるが、寂しいまとめられ方である。

記事の中で宮崎は、保守なのにバリバリの反原発派として、小林よしのりと西尾幹二を挙げていた。このふたりは、教科書をつくる会で仲がよかったのに、反米か親米かで仲違いしたが、最近になって原発に関する考えで急接近しているヤツらである。

宮崎はこのふたりについて、脱原発論を展開しているが、核武装論者でもあると紹介していた。
実際、同じ特集で別の記事を書いていた西尾は、「平和利用の原発なんか捨てて、核兵器を搭載した原子力潜水艦を日本が持って、中国を牽制すべきだ」などと書いていた。

前から疑問だったのだが、原発を持たないということは、当然核兵器なんか持てるわけがないのに、どうしてこういうことを言えるだろうか。
原発事故の放射能漏れで大変な騒ぎだというのに、核実験なんかできるわけないと思うのだが。

小林よしのりは、この号でも脱原発論を描いていた。
小林は、どこから見ても文化系で、ものごとの本質的な考え方がモノ作りに携わるような理系とは全く異なっていて、私には全く合わない。
天皇論みたいな文化系の話はよかったが、小林の原発論はダメだ。

原発事故からしばらくしてこのブログで書いたが、普通は、何かミスがあったら、そのミスを二度と犯さないように根本的な対策を取るのが現代の科学技術であって、感情論ですぐに捨ててしまおうという意見がどうも肌に合わないのだ。

その小林よしのりは、最近漫画の欄外で、やたらとAKB48を褒めそやしている。少し前まで大島優子、最近は柏木由紀が推しメンらしい。
オッサンが若者ぶろうとして無理している感がたっぷりで、見てみて実に気色が悪い。

そんな気色悪い小林が、「SAPIO」の2/1・8号で、脱原発論以外にもう1本「ゴーマニズム宣言」を描いていた。
内容を簡単にいうと、ただの愚痴である。

扶桑社の「SPA!」で「ゴーマニズム宣言」を連載していた頃は、左右のイデオロギー関係なく支持者がいたが、皇室に関する表現で「SPA!」と揉めて「SAPIO」に異動し、「戦争論」を描いたらめちゃくちゃ売れたが、リベラル派が去っていったので、単行本が売れなくなったとか。
んでもって、「戦争論2」で9・11のテロを褒めたりイラク戦争に反対したら反米の烙印を押され、親米保守が去り、「天皇論」では残りの保守も去ってしまって、アシスタントの給料を払ったら苦しいらしい。

「そんなもん、知らんがな」としか言いようがない。小林よしのりは、自分が正しいことを漫画で描けば描くほど支持者が減っていき、単行本の販売部数が減っていき、自分の収入が減ると嘆いていた。
小林よしのりが主張していることが全て正しいかどうかは知らんが、この言い方は、自分から離れていった読者が間違っていて、悪いかのようである。

「ゴーマニズム宣言」のレギュラー単行本の売上がどんどん減っていって、最盛期の半分くらいになっているのは、ただ単に面白くなくなってきたからだろう。昔は目新しかったが、今は内容がマンネリ化していて、食傷気味である。そんな単行本を誰が買うのか。

主張が正しいとか間違っているとかではなく、内容がつまらんから売上が落ちて言っているとどうして思えないのだろう。

小林よしのりは、それでもこの「世間に迎合せず、正しいことを主張する」路線は続けるつもりだと宣言していた。脱原発論ももちろん正しいから続ける。漫画の売上が落ちても、この"正論路線"は続けるのだそうだ。
マジで、知らんがな。

 

 

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昨年のことは忘れよう ニュース記事に関連したブログ

2012/01/20 21:05

 

今の時期になると、今年の花粉飛散は昨年の○倍とか○割とかよく聞くが、花粉症の人間にとっては結局花粉症で苦しめられるわけで、それほど大した違いがあるわけではない。
しかし、今年は昨年の1~2割らしいので、昨年の悪夢のことを思い出すと、今年はずっとマシになり、飛散した花粉の多寡を感じられる年になるかも知れない。

昨年、東日本大震災が発生した直後、それとは全く関係のないトラブルで毎週のように東京の田町へ出張に行っていた。
東京は至るところが舗装されていて、飛んできた花粉が地面に吸着したりせずにずっとフワフワ浮いているから、花粉症が酷くなると聞いていたのだが、実際にそれを体験した。

品川駅で新幹線を降りたくらいから何かいつもと違うような違和感があって、田町に着いた頃にはくしゃみが出る。
そこで仕事をして、新幹線で再び帰る頃には、鼻水が止まらなくなって、大変なことになる。ティッシュで鼻の穴をふさいで、その上からマスクを着けても、ティッシュが瞬く間に鼻水でしめって、マスクが濡れそうになる始末。

鼻をごにょごにょ触ってたら、鼻血まで出てきて、鼻水と鼻血のダブルパンチで、品川駅で新幹線に乗る前に発狂しそうになったことがあった。

昨年がそんなだったから、今年は春に東京に出張行くのがイヤだと思っていたのだが、昨年の1割2割なんだったらいいかと気持ちが楽になった。

ただ、「病は気から」とよく言うが、昨年のイメージが強すぎて、東京でちょっとでも違和感を感じてしまったら、自分の脳内で花粉症を勝手にエスカレートさせてしまうかも知れない。
それだけが心配なのだが、思いすぎるとそうなるので、さっさと忘れるようにしよう。

 

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大阪を変えるなら、まずは住民の意識から ニュース記事に関連したブログ

2012/01/19 22:10

 

「パリは犬のフンだらけ」とよく聞くが、旅行でパリに行った嫁さんが言うには、それほどウンコだらけでもないらしい。
10年20年前は本当にウンコまみれで、花の都というより、ウンコの都だったらしいが、今では飼い犬のフンの不始末に罰金が科せられたり、行政が観光地を掃除したりしているせいで、マシになっているとか。
それでも、マシというレベルで、ウンコはあちこちに落ちている。

日本は諸外国に比べればマシな方だと思っていたが、大阪在住の同僚が「大阪は酷い」と言っていた。
その同僚は四条畷駅徒歩10分くらいの場所に住んでいるのだが、家から駅前までの道のりに、犬のフンが必ず5つくらいは落ちていると言っていた。毎日必ず。
だから、駅に向かうとき、駅から家に帰るときは、下を向いて歩き、犬のフンを踏まないように注意していなければならないと嘆いていた。

そういえば、大阪市内でも、オフィス街を除く住宅地では、犬のフンが結構落ちていた。
私は滋賀に住んでいるが、少なくとも住んでいる地域の舗装道路に犬のフンが落ちているというのは滅多にない。犬の散歩であちこち歩いているが、犬のフンが落ちているのを見かけた記憶が殆どない。

滋賀は大阪に比べればめちゃくちゃ田舎だが、犬を飼っている人、散歩している人はそれなりの数がいる。
道に落ちている犬のフンの数の違いは、住んでいる人のモラルの違いとしか思えない。

大阪は本当にヘンな街だと思う。大阪市などは特に、オフィス街や洒落た高級住宅地以外は、なんか小汚いところが多いのだ。
私がもっとも信じられないのが、大阪市のゴミ出しである。

大阪市のゴミは、3種類しかない。普通ゴミ、資源ゴミ、容器包装プラスチックだけだ。めちゃくちゃ分別させられる地域に住んでいるものとしては、まずそこから信じれないのだが、ゴミの出し方も相当変わっている。
私が住んでいる地域では、行政が指定するゴミ袋に入れて、町内のゴミ集積所に持って行かなければならない。

ところが、大阪市の各家庭のゴミの出し方は、中身が見える半透明の袋に入れて、家の前に出しておくだけ。
何だそれは。会社の同僚に聞いた話では、隣接する堺市なども同様らしい。

私が住む地域では、空き缶を拾って生活している汚いオッサンはいないが、大阪市内にはたくさんいる。
資源ゴミの日、そういうオッサンが自転車やリヤカーを転がして、各家庭の前に捨てられているゴミの袋をあさって、アルミ缶だけ取り出している。家で出したゴミを、汚いオッサンに荒らされて、大阪市の人は何とも思わないのだろうか。

橋下徹・大阪市長が、行政改革だとか大阪都構想などを打ち出して、大阪を変えていこうとしているが、まずは犬のフンを始末させるとか、ゴミをもう少しマトモな方法で出すようにするとか、そういうところから直していく必要があるように思えるのだが、どうだろうか。
これは、部外者の余計なお世話というヤツだろうか。

 

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相談相手が間違っとる ニュース記事に関連したブログ

2012/01/18 23:10

 

誰だったか忘れたが、テレビである著名人が、「幽霊が見えるなんて言っているヤツは、脳の働きに問題があるだけ」と言っていた。
それは概ね正しいと思う。

テレビや雑誌で自身について霊感があると吹聴したり、心霊ロケで「あそこに霊が立っている」などと言っているヤツは、脳に問題があるか、もしくはウソをついているか、そのどちらかだろう。
グラビアアイドルに特に多いから、キャラ付けのためにやっているのだろう。

いちいち言うまでもないが、この世の中に幽霊なんてものがいるわけがない。
そう理屈では分かっていても、暗闇とかが怖いのは人間の本能的なものだから仕方がない。

問題なのは、「霊がいる」などと嘯くヤツがいることである。よく作られた心霊話で人を楽しませるのなら問題ないが、人を脅かし、商売をして、最終的には人から金を巻き上げるヤツまでいる。

皆が商売のため、自分が目立ちたいためにテレビや雑誌でそんなことを言うから、感受性の強い人がそれを信じ込んで、霊がいるとマジメに考えたり、自分も見えたような気になるのだ。

今日の産経新聞朝刊に、東日本大震災の被災者で、「霊が見える」と不安になっている人がいるという記事が掲載された。
たくさんの人が亡くなった大災害で、自分の家族まで亡くなったり、行方不明になったりすれば、不安になり、ストレスを感じて精神的に参ってしまう。そして、幻覚が見えたり、あるいはそれが見えたように感じるのは仕方がないだろう。

だが、そうなったのは、普段から「霊が、霊が」と言っているヤツらのせいだ。
そういうヤツらは、世間の皆が霊で騒ぐのを見て面白いのかも知れないが、端から見れば迷惑なだけである。

心霊のことについて強く主張するオカルト人間は、霊を信じない人たちを「霊感がない」とか「信じないから見られない」などと言う。
これは、少し前にこのブログで書いた、カール・セーガンが言う「ガレージの竜」と同じである。
霊がいた痕跡がない。それは、霊が物質ではないから。
物質ではないのなら見えないはずだが。信じないから見えない。
話にならん。

昔、オカルトを一切信じない上岡龍太郎が、もし霊が出てきたら、「何でオレを脅かそうとするのか」ととことん説教してやると言っていた。
確かにそうである。
自分が殺したヤツの幽霊が自分を呪うために出てきたのなら分かるが、見ず知らずの他人の霊に「うらめしや」と言われても、街角でチンピラに「どこ見とんねん」と絡まれているのと何ら変わらない。

産経新聞の記事には、行方不明の家族が枕元に立っていたという話も掲載されていたが、もし本当にそうなら、どこらへんを探せばいいのか聞き出すべきだろう。自分の家族の霊ならさすがに怖くはなかろう。
もし他人の霊だったら、「オレに言うな」で終わり。

霊が見えるなんて、頭がちょっとおかしくなったか、気のせいでしかないと思うから、もし百万歩譲って霊が本当に見えたとしたら、そうやって軽く受けすしかない。

産経新聞の記事によると、震災後に霊に悩まされる人は行政で対応できないから、仏教の坊主やキリスト教の牧師など、宗教家がぼちぼちその対応をしているのだという。
死生観に関する相談ならともかく、オカルトについては、それでは逆効果だろう。オカルトを肯定する宗教家に話をしたところで、気分が楽になるものだろうか。宗教は人の心に安らぎを与えるなどとされているが、オカルトの相談をしても不安が助長されるだけではないのか。
相談すべきは、脳科学の研究者とか、心理カウンセラーとか、そういう類の人であるべきではないのか。

 

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